俺達のハルヒル~村上〇樹風 師匠編~

「また登るの?」と彼女は言った。
「あなたはいつもそうなのね。山を登るだけ登って、あとはほったらかし。うんざりするわ。他にすることはないの?」
そしてポケットの中から煙草を取り出して、火をつけた。
唇から吐き出された煙は榛名山にかかる雲のように薄くなり、やがて消える。
僕は脱糞して2分のロスを招いたデュムランの様なみじめな気持ちになってしまった。

「やれやれ」

「つまりね」

僕はパスタを茹でながら辛抱強く説明した。「ヒルクライムをしないロードバイクに意味なんかないんだ。海ガメのダンスみたいなものさ。」「海ガメのダンス?」「そう、海ガメのダンス。わからないかな。」「さっぱり。」

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「完璧なヒルクライムなどといったものは存在しない。完璧なロードバイクが存在しないようにね」

僕がロードバイクに乗り始めたころ偶然に知り合ったあるローディーは僕に向かってそう言った。僕がその本当の意味を理解できたのはずっと後のことだったが、少なくともそれをある種の慰めとしてとることも可能であった。完璧なヒルクライムなんて存在しない、と。

 

ローディーいうのは大別するとだいたい二つのタイプにわかれる。
つまりヒルクライムの好きな人間と嫌いな人間である。
べつに前者が小柄で細身、体重の軽さを活かしていて
後者がその逆で、というわけでもなく、
ただ苦しいのが好きか嫌いかという極めて単純な次元での話である。


ヒルクライムの目的は自己表現にあるのではなく、自己変革にある。
エゴの拡大にではなく、縮小にある。分析にではなく、包括にある。


その時僕は四十三歳で、あと数ヶ月後には四十四歳になろうとしていた。
当分のあいだ入賞出来る見込みはなく、かといってヒルクライムをやめるだけの確たる理由もなかった。
奇妙に絡みあった絶望的な状況の中で、
何ヶ月ものあいだ僕は新しい一歩を踏み出せずにいた。

 

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その日僕が登ったのは、ヨーロッパのアルプスからは程遠い、群馬県榛名山だった。僕が乗るトレックのエモンダは、貧脚の僕には不釣り合いだったけれど、僕はそれを気にすることはなかった。


「僕は来世でもきっとエモンダに乗ると思う。それに、きっとその時は、ツールを走れる豪脚に生まれ変わってね。」

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僕は僕以外の人間になれはしない。きみはきみだ。
だがヒルクライムに時間を費やしても意味が無いというきみの考えに僕は反対したりはしない。自由にするといい。
ゴタールの無声映画のように、あるいはジャズの間奏のような静かに微かに聞こえる文章の声を聞けばわかる。
ヒルクライムから何を得ているのか、いや得られていないのか。
大波の狭間に微かに見える帆船を探すように、見つけ出せばわかる。いや見つける必要はない、感じればいい。


ヒルクライムはもうみんなの中にある。

 

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榛名神社を過ぎて気がつくともうゴール間近になっていた。

「やれやれ」

僕は頭を振った。まずは次のチャンスメイクの事を考えよう。
スパート決めるのはそれからでも遅くはない。
そのとき赤いピエロが迫ってくる気配を感じたが、
振り返るのはやめておいた。
たぶん、今はその時期じゃない。
そう、物事のタイミングを間違えるとろくなことにならないと、
僕はうすうす気がつきはじめていた。

 

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いいかい、僕の言いたいのはこういうことなんだ。一度しか言わないからよく聞いておいてくれよ。

 

 僕は・ヒルクライムが・好きだ。

 

あと10年も経って、このブログや僕の歌った歌や、
そして僕のことを覚えていてくれたら、僕のいま言ったことも思い出してくれ。